佳水園

ウェスティン都ホテル京都は、琵琶湖疏水が京都に流れ込む蹴上の地に位置し、その開通に合わせて開かれた「吉水園」を起源に持つ市内有数の高級ホテルである。佳水園はその敷地内に建つ和風別館であり、建築家・村野藤吾が作り上げた数寄屋建築の傑作である。入母屋妻面の屋根が棟部分から頭(こうべ)を垂れるような、低く薄い幾重もの屋根が印象的な外観は、築60年を経て今なおその美しさを伝えるが、老朽化が激しく耐震改修を迫られていた。既存の客室は小割で質素なつくりとなっており、昨今のニーズに応えるべく改修することになった。

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佳水園以前に、この敷地には元首相清浦奎吾の別邸「喜寿庵」とその庭園があった。現在の華頂山に続くチャートの岩盤にしがみつくような赤松の林に、琵琶湖疏水を利用した滝が静かに流れ落ちる庭は、七代目小川治兵衛( 植治) の長男、白楊が清浦のために作庭したものである。これはおそらく当時の知識人や政治家の嗜みであったろう、文人の山水画に描かれた仙郷の写しであった。山水画とは、書き手や読み手が麓から俗世間を離れた理想郷である深山の庵に至る道中をなぞり、旅や生活を想像する体験的な水墨画のことである。この滝や崖に張り付く松は、墨客達が愛した蓬莱山、あるいは黄山や泰山の縮景ではあるまいか。都にありながら深山を旅する庭。南禅寺界隈別荘群の琵琶湖疏水を用いた庭園の中でも、これは最も急峻で山水画的庭園だ。村野はこの思想を引き継ぎ、佳水園を設計したのではないかと、私は考える。この文人的感性をふまえなければ、佳水園に対する深い理解には至れないだろう。

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床桁と地面の間に並べる差し石を省略した足回りは浮遊感をさらに強調し、自然を極力壊さずに仮住まいするような佇まいからは、慎しさと無常観に満ちた文人的自然観が伝わってくる。手前の座禅石から見上げると「月 7」と呼ばれる、滝の上部に建つ平屋の懸け造りの客室の軒先が見える。落水荘を思わせるダイナミックな構成は、村野が白楊の庭園思想を引き継ぎ、深山に住む仙人の庵を体現したものだ。それとは対照的な白砂の中庭は村野による作庭で、フラットな枯山水の中に醍醐寺三宝院の庭の写しと言われる瓢箪と盃をモチーフとした緑の築山が浮かんでいる。 地形を活かした荒々しい崖庭と、抽象的でありながら具体的モチーフの枯山水。一見、この極めて対照的な庭は不釣り合いに思える。しかし山水画を嗜む文人趣味から考えれば、村野の作庭の意図が見えてくる。ロビーに配された村野特有の極端に低い椅子から眺めると、これは白川砂利の海に浮かぶ孤島、仙人が住む蓬莱山。やがて案内される客室への雁行した経路は、深山の山頂の庵に至る山道。頂きに建つ「月 7」の窓辺に座り、夕暮れに染まる京の都の風景を見ながら食事をし、先ほどまで見ていた枯山水を見下ろしたときに初めて、その意味がわかる。滝は視界から消えて、蓬莱山が瓢箪徳利と盃に変化しそこに優しく注がれる酒の音が響いているのである。これはまさしく、文人墨客達が憧れた世界観。仙人が深山の庵で月や松と語らい酒を呑むという、神仙思想や道教に通じる暮らしの感性である。枯山水庭園を崖上から見下ろす部屋は「月 7」だけであるから、村野はこの部屋を重視していたのだろう。

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その他の客室もこの仙郷の山肌を登る庭園的道行の中に配されているが、客室内部は六畳間に縁側がある一般的な旅館のような間取をしており、小割りかつ極めて簡素な作りで、意匠的にも村野の色が強く感じられるものではなかった。庭と外観、共用部に関しては、ホテル側としても設計当時の意匠の維持・復原が大前提であった。しかし、客室内に関しては本館改修計画と同様、耐震改修を施した上で 2 室を 1 室に統合し、充実したバス空間をもつベッドスタイルへと拡充することが求められた。そうなるともはや残し得るのは一部の柱や床の間、欄間の意匠、障子だけであった。一部の柱は切り落として継ぎ、既存の聚楽壁は構造用合板を増し張りする必要があった。また、天井も火打梁の施工や、空調機を天井内に設置しブリーズラインを設けるために全落としとなった。文化的価値の高い建築の改修は、保存と再生箇所を明確にわかるように区分することが流儀とされている。しかし上述したように、客室に関しては、それが極めて難しい状況であった。そこで、「月 7」のみ間取りを維持し、それ以外の客室は全面的な変更を行った。

月7からの庭園の眺望 photo

月7からの庭園の眺望

月7のリビング(和室) photo

月7のリビング(和室)

月7のリビング(和室) photo

月7のリビング(和室)

月7の寝室 photo

月7の寝室

月7の書斎 photo

月7の書斎

和式宴会需要の減少から使われなくなった二階の大広間は、南館の減築により眺望を得たこともあり、二室の客室へと改修し、眺めの良いテラスのような雰囲気となるように、瓦風タイル敷きのリビングとした。また、ロビー近くの、倉庫として利用されていた部屋は、村野の書籍や資料を中心としたライブラリーとした。

東山のリビング photo

東山のリビング

東山のリビング/寝室 photo

東山のリビング/寝室

東山のリビング photo

東山のリビング

われわれは村野が白楊から引き継いだ文人的世界観を如何に継承するか、そして「村野が生きていたら、どんな素材や新しい技術で改修するか」を常に自問しながら設計を行った。なぜなら、佳水園の蓑甲の薄い屋根が木造に鉄骨をハイブリッドさせたことで実現されているように、ここで展開されている「村野数寄」とは、伝統的な数寄屋を工業技術によって、より繊細で流麗な空間に昇華したものであると考えたからだ。二室それぞれにあった床の間や押し入れはひとつで良かったが、袖壁は構造として撤去できないため、小割りの空間が残ってしまう。そこで村野の文人的世界観に合わせて小さな文房を設け、アメニティとして万年筆とインクを用意し、旅先でスケッチや手紙が書ける空間とした。

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非構造壁には金工の手による繊細な真鍮風小舞の下地窓を大きく設けることで、空間に視線の抜けや奥行きを作り、自然光を部屋の奥深くまで 導く計画とした。これは村野が葦で組まれた下地窓を極力大きく取ろうとしたことを受け継ぎ、かつ耐久性を向上させたものである。

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また部屋の四周に琵琶湖疏水をイメージした青みがかった和紙で水平線を強調するように腰張りすることで、空間の重心を低く抑えて部屋を広く見せることを狙った。襖に用いた唐紙は各室から望む庭木や風景と対応させて、キラ( 雲母) で摺った桜の花やもみじの葉が、観世水模様を胡粉で摺った腰張の疏水にハラリと落ちる情景を表現した。キラの量は何度も擦り直 して必要最小限の量とし、一定の角度で見た時にだけ現れるような、ささやかな現象となるよう苦心した。

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和室の照明は竿縁に直径 2 センチの 極小のダウンライトを仕込み、ベッドサイドの読書灯は、ガラスボールを京都の職人による七宝網でカバーし、真鍮塗装の特注金物で支持した 。またウォールブラケットライトは、村野のオリジナルの照明を、立体和紙の技術とLE D により小さく生まれ変わらせた。丸太を水平垂直に構成した文房 椅子やラウンジチェア、小さな部位をレイヤー的に組み合わせて圧迫感を軽減した座卓やソファーやベッドなど、軽快な空間性や繊細な奥行きを持ち、和の空間に調和するよう家具もすべてデザインした 。

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われわれは村野による 素晴らしい建築を保存した上で、最新の技術と職人の手仕事を融合させた「村野数寄」として再生。白楊の庭園の文人的世界観や地域の歴史、風景との接続をはかり、村野自身もそうであったように、単なる復原や懐古的な伝統称賛に陥ることのない、未来につながる数寄屋建築を目指した。

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Completion
2020.6
Principle use
Hotel
Site area
54,803㎡
Total floor area
1,617㎡
Structure
Timber
Constructor
OBAYASHI
Building site
1 Awataguchi, Kacho-cho, Higashiyama-ku, Kyoto
Team
Masaki Hirakawa, Kunihiko Miyachi, Takahito Haneda, Eizaburo Suzuki
  • 2022年度 グッドデザイン賞 グッドデザイン・ベスト100
  • 2023年 日本建築学会 作品選奨